人と比較することが人間の姿

釈征秀です、

「あの人、僕よりかっこいいなぁ…」
「あの人、私よりかわいいなぁ…」

こんな自分を他人よりも下にいるような
感覚を持ったことはありますか?

また、これとは逆に

「あの人は私よりかっこよくないな」
「あの人は僕よりかっこよくないな」

といったように、
他者よりも自分の方が
優れているような気持ちに
なったことはありますか?

上の例ですと、外見にフォーカスをあてた
感想になっていますが、他者と自分を
比較するような気持ちになることは
外見だけに留まらず多岐に渡ります。

例えばお金の大小だったり、地位だったり
頭の良さだったり、運動神経だったり…

人と自分との比較するべきポイントは
それこそ無数に存在します。

私自身も

「あの人は、オシャレじゃないな。
俺の方がファショナブルたぜぃ」

とかなんとか思って、大してオシャレでも
ないくせに見下すような気持ちに
なったりします。

逆に、

「あの服を、この服に合わせるのか…
スゴイいいセンスだなぁ…
僕はジャージだよ…」

とか思って気鬱な気分にもなります。

哲学者・数学者として名を馳せた
「バーランド・ラッセル」は
『幸福論』という本の中でこういいます。

他人と比較して生活する習慣は、
致命的な習慣である

ラッセルさんが言われるように人と
比較しながら生きることは、
確かに致命的ではあります。

かつての人たちは、村社会の中にいました。

そんな村社会においては、
それほど人が多くもない中での生活です。

他者と比較をして暮らすといっても、
せいぜい数百人がいいところでしょう。

しかし、インターネットが発達した
現代においてはスマホの画面の
向こう側に「世界中の人々」を
確認することができます。

例えば、

バフェットやビル・ゲイツといった
超絶お金持ちの様子や暮らし。

友人が旅行に行って、美味しいものを
たらふく食べている様子。

リア充(死語?)丸出しで乱痴気パーティを
繰り広げる、楽しそうな若者たち。

などなど、私たちの心の奥底に眠る
「人との比較したい病」を発動させる
要因はスマホの中にうごめいています。

「私よりいい生活…いいなぁ」
「遊んでいて、僕より楽しそう…」

なんて感想は簡単に出てきますよね。

下で詳しく見ていきますが、
実は他者との
比較は決して悪い影響だけを及ぼすものでは
ありません。

他者比較によるメリットも確かにあります。

しかし、あまりにも行き過ぎた他者との
比較は

「俺はだめなやつなんだ…」
「私も、あんな風に楽しみたいのに…」

といったネガティブな感情を
呼び起こします。

これでは人生は楽しくありません。

そこで、今回と次回で他者との比較を
ブッダがどのように考えていたのかと
いうことをみていきたいと思います。

結論から言えば、ブッダは他者と
比較する人生は真の幸福には
繋がらないと考えていました。

今日の記事がオススメな方

・人との比較に疲れた
・競争社会に疑問がある
・人と比べてネガティブになる

人が人と比較してしまう気持ちはどういう
メカニズムを持っているのか。

そして、ブッダが人と比較する人に
どんなアドバイスをかけているのか。

この辺りを見ていき、適切な人との
比較習慣を身に着けていきましょう。

ではまず、人には人と比べたいという
根源的な欲求があるという点から
みていくことにしましょう。

目次

他人からの承認されたいがデフォルト

人間の持つ性情のうちでもっとも
強いものは、他人に認めらることを
渇望する気持ちである。

ウィリアム・ジェームズ(心理学者)

人間は社会的な動物である

こう人を表現することもあります。

人は社会の中で生きて、人と会話したり
ふざけ合ったり、助け合いながら生きて
いることは疑うことができないことです。

そんな社会の中で

「おれをみろ!」
「おれを大事にしてくれ!」

という欲望を人は根源的に持ちながら
(あるいは、その欲望を隠しながら)
生活をしています。

マズローさんという心理学者は、
人の欲求を5段階にわけ、下の欲求が
満たされると上の欲求を求めていくと
考えました。

使い古された感もある思想ですが、
人の心理を5段階にカテゴライズするという
この学説は非常にわかりやすいものです。

その5段階とは以下のようなものです。

①生理的欲求
②安全の欲求
③社会的欲求
④承認欲求
⑤自己超越の欲求

一つずつ簡単に見ていきます。

生理的欲求

うんちしたい。オシッコしたい。
ご飯食べたい。異性とニャンニャンしたい。

こうした、人間というより動物的な欲求を
果たしたいというのが「生理的欲求」です。

まずはこの欲求が満たされない限り、
人はこれからご紹介していく上位の欲求を
満たしたいとは思いません。

そりゃそうで、お腹がグーグーしているのに
「世界平和を成し遂げる!」という夢は
持とうと思っても持てませんよね。

安全の欲求

安全な場所で暮らしたい。
安全な家を持ちたい。
安定した暮らしがしたい。

といった欲求です。

身の回りにトラがウジャウジャしていたら
怖くて仕方ないですよね。

ですから、生理的欲求の次には
「安全が欲しい」という欲望を持つわけです。

社会的欲求

お腹は満タン。
安全なお家もちゃんとある。

けれど、孤独に黙々と日々を送る…

これでは決して幸せだとはいえません。

ですから、生理的、安全の欲求が
満たされると人は社会の中での関わりを
求めたいという気持ちをもちます。

友達とワイワイしたい。
大事な家族と仲良く暮らしたい。

こうして、人との関わりの中で充足感を
感じたいという欲求です。

承認欲求

この欲求が今日のキーポイントになります。

生理、安全、社会欲求が満たされると、
次に承認欲求というものを人は持ちます。

承認欲求とは

「人から認められたい」
「人から重要な人間だと思われたい」

という欲望です。

第3段階の欲望である「社会的欲求」を
なし得たら、次はその社会の階層の中で
上位に行きたいという気持ちが
芽生えてくるわけなんですね。

自己超越の欲求

下位の欲望が満たされると最後は
「自分の理想的を成し遂げたい」
という欲望を持ちます。

自分らしい人生をおくりたい。
世界から核をなくしたい。
世界の貧困をなくしたい。

といったような欲求です。

第4段階の社会的欲求が満たされていたと
してもこの自己超越の欲求が満たされないと
人は苦しんでしまいます。

例えば、社会的に上位にたち、
みなからチヤホヤされていたとしても
本当の自分の人生の目標とは違っていた
としたらそれは本当の欲望を
満たしていないということになりますよね。

以上がマズローさんが考えた
人間が持つ普遍的な欲求を5段階に
わけたというモデルです。

このマズローさんの欲求段階で今日、
大切なポイントは「承認欲求」になります。

生理欲求、安全の欲求、そして社会的欲求を
すべて手に入れると、どの人も人からの
承認を得ようとしたいという欲望をもちます。

「他の人からチヤホヤされたい」
「他の人より優れていたい」

こうした欲を表面に出すか
出さないかという違いはあれど、
みな人からの称賛に飢えているのです。

この承認欲求の欲望を大本として人と比べて
自分の社会での立ち位置を測ろうとする
気持ちが他者との比較に繋がっていきます。

なんでもいいから他者より上にいたい!

承認欲求は人ならば少なからずもっている
欲望であり、下位の欲求が満たされれば
心の中でムクムクと湧き上がってくる
感情であるということをみてきました。

「他者より上にいきたい」
「尊敬されたい」

という気持ちは人として
自然な気持ちなわけですね。

では、人が他人と比較しているとき、
脳の中ではどのようなことが起こり、
どのようなシステムが働いているの
でしょうか?

社会的立場がぐらつく脳

まず、こんな実験からご紹介します。

ロンドン大学のフリードリチ博士は
女性がスタイルのいい女性を羨ましいと
思うメカニズムについて脳科学で調べた
実験です。

まず、フリードリチ博士は
18人の女性を集めました。

彼女たちのBMIは標準で、
別に太っている女性にカテゴライズ
されないような体型をしていました。

さて、そんな彼女らに2種類の絵を博士は
見せます。

1つはインテリアの絵。
もう1つは、ボン・キュッ・ボンの
モデルさんの絵です。

そしてその絵を見たときに脳内が
どのように反応するかを調べたのです。

すると、ボン・キュッ・ボンの
モデルの絵を見た時に強く反応する
脳の部位が2つありました。

その2つの部位とは
「前帯状皮質(ぜんたいじょうひしつ)」
「扁桃体(へんとうたい)」
と呼ばれる脳の部位です。

前帯状皮質と呼ばれるところは
簡単にいえば、感情や社会的な認知に
関することを担当しています。

そして、扁桃体は恐怖や不安を
感じることによって強く反応する
ところです。

つまり、自分よりもスタイルがいい女性を
みた被験者の女性たちは

恐怖感・不安

を社会的な立場で感じたといえます。

自分とモデルさんの体型を比較することで
不安や恐怖といった感情を脳で
作り出しているわけなんですね。

「え?ちょっと待て!
人と比較したときに現れる感情は不安と
いうよりは妬みとか劣等感な気がするよ」

こんな意見もあるかもしれません。

確かに劣等感や妬みといった『言葉』は
存在します。

しかし、脳で活性している部位は
社会的な立場をあらわす前帯状皮質と
恐怖や不安といった感情のときに強く働く
扁桃体なのです。

このことから考えると、
妬みや劣等感といった感情の本質は
もしかしたら社会的に自分の地位が低下する
恐怖だったり不安にあるとも考えられます。

つまり、妬みや劣等感のモトは

「この人がいると社会的に
認めらられなくなるんじゃないか?」

「世の男性は、こんなモデルさんの
ような人とニャンニャンしたいと思うよね。
私は、ずっと男性に認めてもらえず、
一生、独身のままなんだわ!キィー!」

といったように、
自身の社会的な立場の低下や
自分を見てもらえないのではないかという
恐怖や不安にあるといえます。

ザマアミロ!

他人の不幸は蜜の味

こんなことわざがありますよね。

このことわざは大げさなものではなく、
実際に他人の不幸をみると、
脳内では快感物質がドクドクと分泌されて
いることがわかっています。

このことを明らかにした
こんな実験があります。

高橋英彦博士は約22歳の男女を集め、
かつての同級生が社会的に成功をおさめ、
ビクンと反応するような羨ましい生活を
送っているシーンを想像してもらいました。

すると、やはり脳で妬みの感情を
被験者たちは感じることがわかりました。

「そんなの当然じゃないか。
さっきも聞いたよ!」

と思われるかもしれませんが、この実験が
面白いのは引き続き被験者たちに、
以下のような質問をして、脳内がどのように
反応するのかを調べたことにあります。

その質問とは、

「その成功した同級生が、ある理由に
よって絶望の淵に立たされ、不幸に
なってしまったことも想像して下さい」

というものでした。

羨ましい成功をおさめた同級生が一転して
不幸のどん底まで落ちてしまった…

こう想像した時、人の脳はどのように
働くのでしょうか?

同情?哀れみ?悲しみ?

こういった感情でしょうか?

実は、被験者たちの脳を調べたところ
興味深いというか…

…人の真実を明らかに
するような結果が出たのです。

同級生たちが成功から奈落のソコに
落ちてしまったことをイメージした
被験者たちの脳内では「側坐核(そくざかく)」
という部位が強く反応していたのです。

「側坐核ねぇ。ふーん。」

とスルーしないでくださいね。

側坐核のおもな働きを聞くと「ふーん」とは
言っていられなくなります。

側坐核はいわゆる脳内では「報酬系」
呼ばれる部位の1つにかぞえられます。

「報酬系」といわれるわけですから、
側坐核は人にとっての「快感」と関係が
あるといえるのです。

モルヒネや覚醒剤になぜ人が
ハマってしまうかといえば、
使用することやによって快感が
もたらされるからですよね。

そんな快感をもたらすモルヒネや覚醒剤は
主に側坐核に「やっほー」とやってきて
側坐核の働きを促す作用があります。

つまり、側坐核がビンビンに働くことは
モルヒネや覚醒剤を使用していることと
同じような効果があるわけなんですね。

ということは、つまりどういうことか?

信じがたいかもしれませんが、
同級生が成功→失敗したと聞いたとき、
人は「快感」を感じるのです。

「ザマアミロ!」
「そのままもっと落ちていけ!」

こんな言葉を吐きながら人の失敗を
快感としてとらえているのです。

いやはや、人の心は闇ですな。

まさに「他人の不幸は蜜の味」です。

ただ、

「人は、罪深いものだ…
自分にもこんな一面があるのか…」

と落ち込んでしまいそうですが、
人の失敗を見て「快感」を感じる気持ちを
すべて悪だととらえるのは早計ともいえます。

なぜかといえば、側坐核は
やる気やモチベーションを促すという
役割を果たしていることがわかっているから
なのです。

つまり、他人が失敗したという快感を得て、

「よし!じゃあ俺も頑張ろう!」
「私にも彼氏ができるかも!
ダイエットしよ!」

といったやる気を発動するスイッチにも
なり得るといえるからです。

一見すると、人の失敗をみて快感を
得ることは人でなしのようにも思えます。

しかし、長い長い人類の進化の過程の中で
人の失敗をバネに自分を鼓舞していくという
システムが人に備わっていることは
非常に興味深くもありますね。

巨人の星と階級制度

さて、ここまで脳科学における
他人との比較についてみてきました。

続いて、心理学的には他者との比較を
どのようにみているのかを少し
みていくこととします。

心理学では他者との比較する気持ちを
専門用語で「社会的比較」と呼びます。

まぁ、そのままの名称です。

そして社会的比較を大きくわけると
2つにカテゴライズできると考えています。

1つは「上方比較」
もう1つは「下方比較」とよばれます。

上方比較のメリットとデメリット

「上方比較」とは、その名のとおり
自分よりも社会的に上だと思う人と
比べる心理のことです。

先程の実験ですと、自分よりもスタイルの
いいモデルさんと比較する行動にあてはまります。

他にも例えば

・プロ野球選手に憧れる
・オシャレな友達に憧れる
・勉強できるメガネの友人に憧れる

などの気持ちが該当します。

上方比較にはメリットとデメリットの
両面があります。

メリットとしては、憧れによって
自分を成長させてやろう!

というメラメラ燃え上がるような
モチベーションが自分の中に生まれることです。

巨人の星というマンガがあります。

主人公の星飛雄馬は野球のオニである
お父さんの星一徹のシゴキに耐えながら
プロ野球選手になるという夢を
追いかけています。

星一徹は子どもである飛雄馬に
こんな言葉をかけます。

ひときわ輝くでっかい明星となれ!
飛雄馬よ… 栄光の星を目指すのだ!」

プロ野球選手になる(社会的成功)を
目指すことのみを目標とする。

そして、飛雄馬はその目標に向かって
ただ、ひたすらにトレーニングをする。

モチベーションの源泉は
上を目指すという上方比較にあります。

さて、このようにモチベーションを
沸き立たせるという上方比較のメリットは
確かに存在します。

しかし、行き過ぎた上方比較は
ネガティブな要素もはらみます。

「上に!上に!」
「あの人みたいになるんだ!」

という気持ちが行き過ぎると、

・競争社会に疲れてしまう
・どうやっても、憧れの対象のように
なれない自分に絶望する

といった感情が湧いてきます。

これでは決して幸福ではありませんよね。

下方比較のメリットとデメリット

次に、下方比較です。

下方比較とは自分よりも社会的に
劣っている人と比較することです。

先程の実験の例だと、失敗した同級生と
自分を比較する行為に当たります。

他にも

・自分より数学の点数が悪い人をみて安心する。
・彼女がいない友人をみて安心する。

なんていう気持ちが下方比較です。

もちろん下方比較にもメリットと
デメリットがあります。

メリットとしては下方比較によって
自尊心や承認欲求が満たされると
いうことがあります。

「あいつよりはましだな」
「まだまだ下はいるから大丈夫。
俺は幸せな方なんだ」

なんて感情を持つと、
自分の境遇を棚上げでき
自尊心を保つことが可能です。

この人間の心理をうまく使った
悪しき制度がエタ、ヒニン制度です。

江戸時代には有名な「士農工商」の
制度がありました。

この中で「農」、つまり農民は
最も厳しい生活を強いられていたと
されています。

(色々な学説があり、実際には
農民はいうほど悪い生活ではなかった
とも言われてはいます)

そうした厳しい農民たちの不満のはけ口と
して、幕府により創設された身分が
エタとヒニンと呼ばれた階級です。

エタやヒニンと呼ばれる階級の人達は
農民よりも生活が厳しく、さらに
人がやりたがらない仕事を担っていました。

江戸時代の農民たちは厳しい生活を
していましたが、より下の階層の人々たちが
存在するという下方比較の対象をみ、

「あの身分よりはましだ」

という気分を味わうことが
できていたわけです。

下方比較という人の心理をうまく利用した
悪しき制度です。

さて、下方比較のメリットは
自尊心の維持という面がありました。

では、下方比較のデメリットとは
なんなのでしょうか。

下方比較のデメリットとしては、
「向上心が欠けてしまう」ことに
あります。

「下には下がいる。じゃあ別に
努力なんかせずにいたらいい」

こうした気持ちが大きくなりすぎると
勉強したり仕事したりといった
行動すらも取らなくなってしまう
可能性があります。

日々、成長していけばより楽しい人生が
やってくるかもしれないのに、
そのことを放棄してしまうわけですね。

これが下方比較により弊害です。

上方比較も下方比較も本質は・・・

さて、このようにして上方比較と下方比較を
みてみると一見、これらはまったく別物の
心理を表しているようにも思えます。

が、

実は上方比較も下方比較も本質は
1つなんですね。

これらに共通する心理は「自尊心」です。

上方比較は

「あんな風になって自尊心を満たしたい」

という気持ちが心の奥底に眠っています。

「プロ野球になって、GALに囲まれたい」
「プロ野球になってテレビに出たい」

といった心理ですね。

逆に下方比較は下をみることによって
自分の現状を肯定し、今の自分の自尊心を
保つことが目的となっています。

自尊心は他者からの称賛によって
もたらされます。

社会的比較はマズローがいうところの
「承認」に根ざした心理でもある
わけですね。

まとめ

脳科学と心理学の人と比較する心理を見方を、
ザッとここまで確認をしてきました。

ここまでをまとめると、
こんな感じになります。

①人はマズローの欲求分析のように
「承認されたい」という欲望を抱くように
プログラミングされている。

つまり、人との関わりの中で
「自分の立ち位置を確認する」という
欲望がムクムクやってくる。

②自分より優れた人を見ると
「私は承認されないのではないか」
という不安をもつ。

③人の不幸は快感。

④人の比較には上方比較と下方比較という
2つの見方があり、それぞれにメリットと
デメリットがある

こうしてみると、人との比較は人にとって
根源的な欲望であり、どうにもこうにも
ならないもののように思えます。

しかし、ブッダの言葉から
これらの欲望から解き放たれるヒントを
次回は探っていきたいと思います。

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