悪魔の存在矛盾と善悪

釈征秀です、

先日、善悪に関してこんな記事を
書きました。

善悪は簡単に判断できるものではなくて
善悪の判断は曖昧なものだということを
親鸞の言葉を足がかりにしてまとめて
みました。

さて、上の記事に関連して
ひとつ善悪に関して興味深いキリスト教の
を今回、記事にしていこうかなと
思っています。

善悪に関して興味がある方には
おもしろい記事だと思いますので
よらしければ最後までお付き合いください。

目次

キリスト教の絶対善と絶対悪

キリスト教(一神教)においての絶対善、
つまり必ずいい事しかしないと
されているのは、もちろん…

「神」です。

全知全能であり、究極の善を体現した
存在が「神」。

神がされることに間違いはない。

これが一神教における定義ですね。

そして、絶対善である神と反対に
絶対悪とされる存在が「悪魔」です。

まぁ「悪」+「魔」ですからね…

完全に悪そうです。

色々な説があるそうなのですが、
一般的には悪魔のトップとされているのは
「サタン」と呼ばれる存在です。

(サタンの別名でルシファーともいいます)

言い伝えによれば、元々サタンは
神のしもべである天使のトップでしたが
神に反逆したことにより堕天使となり
悪魔へと変貌したとされています。

そんなサタンに象徴される悪魔は
悪の象徴でもあり、絶対に悪いことしか
行わない神や天使の対概念として
聖書などに記される存在です。

絶対善≒絶対悪?

ここまでみてきたように、神と悪魔は
まったく正反対の存在ですよね。

一方は善しか行わず、
一方は悪しか行いません。

が、しかし興味深いのは少し考え方を
柔軟にしてみると、絶対善と絶対悪は
等しい
かのようにとらえられて
しまうのです。

「絶対善と絶対悪が同じ?
そんなわけないじゃないか。」

そう思われるかもしれませんね。

では、まずこんな例え話から
その理由をご説明してきたいと思います。

必ずウソをつく人は正直な人

現実にはいませんが、この世に

必ずウソをつく人

がいたと仮定してみましょう。

「必ず」ウソをつくのです。
悪いやつですね。

さて、この必ずウソをつく人は
30才の男だとしましょう。

すると、「あなたは男ですか?」ときけば
「いいえ、女です」とウソをつきます。

そして、「あなたは30才ですか?」と
問いかければ「違います」と
ウソをつきます。

必ずウソをつきますから当然の答えです。

しかし、こうしたパッと判断ができる
ような質問ならばウソをついているか
どうかは判断ができますが、こうした
質問をこの男性にしたらどうなるでしょう?

「私は80才より長生きしますか?」

ウソつきの男性が「いいえ」と答えれば
「はい」という意味なのですから、
質問した人は80才より長生きします。

他にもこんな質問はどうでしょう。

「アップル社の株は1日後
値上がりしますか?」

ウソつきの男性が「はい」と答えたら
「いいえ」という意味ですから
アップル社の株は値下がりするか
値段が変わらないかのどちらかと
なります。

このように見ると、とても便利ですね。

実際に必ずウソをつく人がいたら
大金持ちです(笑)

つまり、

必ずウソをつくということが
わかっていれば、ウソつきの人の反対が
正解なわけですから、逆にいえば
『正直者』といってもいいということに

なってしまうのです。

むしろ、(残念ながら)本音を隠しながら
生きている私たちよりも必ずウソをつく
人の方が正直者ものだといえるわけです。

神と悪魔は等しい

この必ずウソをつく人の例からも
わかるように絶対悪は絶対善と
隣合わせのような関係を持っています。

神は絶対善ですから、必ず善を行います。

が、悪魔は必ず悪を行います。

とすると、悪魔は『必ず』悪を
行うわけですから、神しか知らない
『絶対善』の内容を知っていることに
なってしまいます。

なぜなら、

神のみぞ知る『絶対善』とは
『必ず逆のこと』を悪魔はしなければ
なりませんから、『絶対善』の中身を
すべて理解していないと必ず『絶対善』とは
逆のことをし続けられないからです。

必ずウソをつく人は
本当のことを知らない限りは、必ずウソを
つき続けることはできないことと同様です。

このようにみてみると、全知全能であり
絶対善である神の頭の中を悪魔は
すべて理解していることになってしまい
ます。

つまり、

神と悪魔は行動は違えど
理解していることはすべて同じだと
いえてしまうわけなんですね。

あら、不思議。

(逆にいえば、悪魔がすることと反対の
ことをすれば神が望む行動だと
言えなくもありません)

仏教と太極図と…

不思議なことに、相反する概念もつきつめて
考えれば、同じ着地点に到着してしまい
ました。

この神と悪魔(絶対善と絶対悪)だけで
判断するのは軽率かもしれませんが
二元論の行き着く先には、
こうした矛盾が生まれるのかもしれません。

西洋は善悪、長短など二元論が好きです。

しかし、東洋においては二元論を
あまり重視してきませんでした。

その象徴が韓国の国旗にもある太極図です。

太極図は陰(黒)と陽(白)とが
混ざり合う様子が描かれています。

この混ざり合う様子は

陰が行き過ぎれば陽に変わる。
陽が行き過ぎれば陰に変わる。

という意味があるとされます。

そして大きな黒と白の中には小さく
違う色の方の小さな○が入っていますよね。

これが意味することは

陰の中には陽もあり、陽の中にも陰がある

というように解釈されています。

つまり、完全な陰も完全な陽も
存在しないんだよという意味です。

仏教における悟りの境地を表す言葉の
1つとして『中道』というものがあります。

二元論(例えば善や悪)の両極端に
こだわることなく生きていくことを
『中道』といいます。

極端な善も極端な悪もいいものでは
ありません。

このことは先日の記事に詳しくかきました。

完全なる善も完全なる悪に近付くことなく
どちらの極端にも意識を向けないことが
仏教における悟りの境地なんですね。

このように東洋では二元論というよりは
真実はフワフワとしているといった
ニュアンスでとらえられています。

西洋と東洋の違いという意味でも
善悪の判断は非常に興味深くもありますね。

まとめ

この記事では絶対善悪を考えると
表裏一体の関係から絶対善と絶対悪が
等しいもののようにとらえられること。

そして、東洋の考え方をみてきました。

私は一神教の論理が矛盾をきたすことを
指摘し、叩きたいわけでは決して
ありません。

「キリスト教は間違っている」
「一神教は間違っている」
「一神教は悪だ」

これも1つの極端な意見になりますからね。

そして、忘れてはいけないのは
絶対善の神と絶対悪の悪魔の矛盾を発見した
のは人間だということです。

私たち人間からみれば矛盾にも思えること
でも別の次元(神や悪魔といった次元)から
みれば矛盾をきたしていないということも
十分に考えられます。

人間の知識の外のことは
私にはわかりません。

私が今日、この記事を書いたのは
善悪や二元論といったことをあなたが
考えるためのヒントとしてもらいたいと
思ったからです。

私は東洋的な流動性を持った考えが
好きです。

もちろん仏教徒だという
前提もありますが(笑)

しかし、二元論的な見方が肌に合う方も
もちろんいらっしゃるでしょう。

二元論を超越した完全なる善の境地。

それを見てみたいという
気持ちもありますしね。

では、この記事があなたの何かしらの
お役に立ったことを願いつつ
今日はこのあたりで…

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